文章を書くということ。
元から文章を書くのが好きな方。
小説や、そういった類のものではなくて
どちらかと言えばエッセイに近いような
身近にあること、身近で起きたとりとめのないことを
自分の思いを織り交ぜて 、文字にすることで
自分なりの考えをまとめるのが好きだった。
「だった」と過去形なのは、ここ1年ほどまともに文章を書いてなかったから。
書くことが嫌いになったわけでも、暇がないわけでもなくて
書く内容が少なくなってしまったから。理由はそれにつきる。
昨年2007年から始まったtwitterというWebなサービスを利用してから
書くことが極端に少なくなってしまった。
twitterは「何してるの?」という簡単な問いかけに対して
登録している人たちがつぶやくというサービスだけれど
何してる?・・・というものだけじゃなくて
生きてれば人間いろいろ感じてしまうものだから
つい、思いついたこと 、感じていることをすぐに書いてしまって
自分の中で熟考するということがなくなってしまったのが原因だろうと思う。
よくネガティブな想いを抱いてる時に 、「吐きだしたらいい」と言われるけれど
吐きだすことによって救われることは確かにあるかもしれないけれど
すべてがすべて、吐きだせばいいという問題でもない気がする。
ネガティブな想いに限らず、人は何かを考え生きてるものだから
考えを止めることはない。その中で、あることに対して時間経過と共に
自分の中で考えを巡らせることによって
こうも考えられる、こういう風にも・・・といろんな角度から物事を判断し
理解して消化しようとするのではないか・・・・と思うのだけれど
先の、twitterのようなサービスに常駐してると
吐きだすことだけに重きを置いて
考えを巡らせる、自分の中で消化させる、というようなことが
できなくなってしまう気がする。
もちろん、いいこともたくさんあって、いろんな人がいるし
とてもみないい人たちだから励ましてもらって
それが力になることもあるのだけれど
私はやっぱり書くことが好きで、「書きたい」 という気持ちがある私は
吐きだすことの危険性も考えなきゃいけない。
比較するのはおこがましいけれど、文豪と言われた人たちの中には
精神的に追い詰められた人も少なくはない。
その中で生み出されたものが、人の心を打ち
素晴らしい作品を生み出したことを考えたら
もっと、感じたことをゆっくり自分の中で消化していく方が
性に合ってるような気がする。
twitterはとても楽しいサービスではあるけれど、
考える力が足りない私には、もすこし大人なおつきあいをしていこうかな。
今はそう思ってる。