2008年2月

占い。

友人の友人というややこしいつながりではありますが
お遊びで・・・って占ってもらったんですが
面白かったから、残しておきます。

「2008年の乙女座を一つの場景に喩えると
 こんな感じだと思います。
 寂しさが怖くて、表面的につきあえる仲間と
 ただわいわいやり続けていた人が
 ふと、その仲間の輪からはずれて
 一人で道を歩いていきます。

 海岸まで来て、腰をかけて、
 心の中にどうしようもなくある寂しさをじっと、味わいます。
 寂しいのだ、とそれを、かみしめます。

 寂しいから、今までそれをごまかしたくて
 ああやってわいわい
 意味のないバカ騒ぎをしていたのだ、と考えます。

 そういうふうに考えていると、
 ふと、誰かが寄ってきて
 その人の肩に手を置きます。

 そして、横に座ってくれます。
 その人は自分の寂しさの話をします。
 そしてだんだん、自分の思い出や夢
 愛について話していきます。

 横に座った人は、そのあともずっと
 その人と一緒に歩いていくことになります。」

だそうです。

今私の横にいる人。
その人とは自分の思い出や夢、愛について話しました。
もうひとり、その話をしましたが
その方とは大事な大事なお友達になれました。
お友達は座らなかったけど、
座ってくれたのが、今私の横にいてくれる人。
不思議なものです。

バレエ

クラシックバレエのコンクールに行ってきた。

お恥ずかしながら、大きな声では言えないが
「バレエ」をやってました、はい、あの「クラシックバレエ」です。

でもですねぇ、「大人から始めたバレエ」ですのでね
子供の時からやってるような人と、いっしょにしてはいけません。
いわゆる、「趣味」の一貫ではありますが
それでも、やり始めるとバレエの魅力にハマってしまうのですよ。
不思議な芸術です。

わたしは、わけあって5年ほど習ってから
やめてしまったわけですが
その時の友人がいて、彼女ととても仲がいいんだけれど
彼女から「コンクールに出る!」と連絡がありまして
本来、コンクールは子供から習ってきたような方たちが出場する場であるんですが
自分を試すため、踊る機会を得るためにあえて
無謀だと思える挑戦を自分に課してチャレンジしようってことなんですね。

まわりは上級者ばかりの中
その状況と心境がわかるだけに、ぜひ応援したくて
彼女が踊るのを久々に見たくて、行ってまいりました。

会場を訪れると、あちこちにお団子をした女子。
小さな子から綺麗な20代のおねーさんまで。
そこは完全な異空間。

ロビーにはバレエ音楽が流れてる。
舞台が映し出された舞台とそこで踊るダンサーひとり。
全部懐かしくて、いろいろ思いだしながら重いドアを開けたら

やっぱりいいな。

またやりたい。ほんの少しそう思いながら
やらなくてもいいから、いい舞台見に行きたい、そんなことを思いつつ
ダンサーたちを鑑賞。
うまい人もそうでない人も、みんな一生懸命。
「あー、この曲好き」「この踊り好き」「これは前に○○ちゃんが踊ってたな・・」
いろんなことも思い出しましたよ。

肝心の友人Tですが、出てきただけでもう、こっちがうるうるw
とっても綺麗だった。
難しい演目だったけど、とても優雅な踊り。
本人は「失敗しちゃったよー><」てなってましたが
失敗しちゃっても、それが舞台なんだよね。

ひさびさにバレエに触れていい時間を過ごしましたとさ。
おわり。

「かおり」と「におい」

人には必ずその人の「匂い」というものがある。
いわゆる「体臭」と言われるものだけれど
生活習慣や食べる物など
その人独特の香りとなって発せられる。

本人は毎日、自分の匂いに包まれているわけだから
そんなものは気にしようもなく、ごく自然なものであり
当たり前のようになっているので気にもしないのだ。
が。これが他人が匂ってみるとよくわかるのだけれど
本当に人それぞれで
特に匂いフェチでもない一般ぴーぽーは
悪臭を放たれない限り気付かないだろうが
案外大切なんですよ・・・なお話。

なんでこんなことをいうかというと
昨日書いた友人たちとの話しの中で出てきた話題の1つでもある。

彼女らは前にも書いたが結婚10年以上の
結婚生活のマイスターである。(なんか違
当然、夫である旦那さまたちも、それなりに
世間でいうところの「中年」「おやじ」にさしかかろうか
という年齢である。

この「中年」「おやじ」というものは悲しいかな
「おやじ臭」というものがあって、特に煙草が好き
肉食好き、というのはその体臭がきつくなってしまうのだ。

じゃ、なんで「おばさん臭」はないの?

と思うかもしれない。
「おばさん臭」はあるかもしれないが
この「おやじ臭」とはホルモンバランスも大きく左右するものであって
女性はその女性ホルモンによって
少なからず「おやじ臭」とは一線を介すんだな。

で。友人のM恵が言うに

「くっさいよ。もぅ。抱きつくなって思う」らしいのだw
まぁね。わかりますよ。
私も元旦那さんはなんとなーく臭かったもの。

たぶん、M恵と元旦那さんの嗜好や生活態度って
似てたんだと思います。
だからって、元旦那さんが何も気にしてなかったわけじゃないくて
いろいろ香水つけたりしてたけど。

で、どうしろと・・・!?
てなことになるんですが、これはもうあきらめろ。の一言。
肉食を控える、煙草吸ってる人は
煙草&珈琲の組み合わせは危険なことを知る
これくらいしか言うことなし。
あとは、紅茶&緑茶をよく飲むとかね。

その人の香りがどういうものであれ
私は拒絶したりしないし、好きな人ならば
おやじ臭でさえよいものに感じてしまうのかもしれないけれど
人間の嗅覚は鋭く、記憶は香りに宿る。

だったら、いい香りの方がいい。
変に香水いっぱいつける必要もないし
香水の習慣がない人につけろとは言わないけれど
きっと誰かを思い出すとき、その人の香りを思い出す。

私は私を思い出してもらう時に
私の香りとしていい香りを覚えていてほしいから
私の大好きな紅茶の香りのするの香水を愛用している。

幸い私の体臭に合った香りのようで
時々「いい香りがするね」と言ってもらえて
少し嬉しかったりするのだけど
以前、ある人に言われた言葉が印象的だった。

「人を香りで覚えるから、あなたの香りはこの香りって覚えた。」

人を香りで覚える人って周りにいなかったから
そう言われて、「あぁそういうのあるかも」と思ったのだ。

思い出は嫌なものも、いいものもあるけれど
せめて香りはいいものでありたいものです。

類は友を呼ぶ!?

昨年から計画されていた高校時代の友人たちに久しぶりに会うことになった。
気ごころの知れた古い友人たちではあるものの
私の仕事の都合やらで、なかなか会うことができず
ふと、考えたら5年ぶりだった。

彼女たちとは高校時代、苦楽を共にし(大袈裟)、さまざまなことを話し
経験して、卒業、就職、結婚後も変わらずつきあい続けてきた仲間である。
私には子供がいないので、さほど時の流れを感じることはないのだけれど
彼女たち4人にはそれぞれに子供たちがいて
その子供の成長を聞くたびに、そんなに時間が経ったのか
と、びっくりする。

数年連絡がない時もあったけれど
それでも、会えばすぐに仲のよかった時代と同じく
冗談を言い、何も言わずともわかってくれる「いい奴」たちなのだ。

今回は、当初「ひさしぶりだから」という理由ではあったものの
私の離婚などがあったりして、話はそちらの方向へ・・・・。
彼女らには前触れもなくメールで「家を出た」と連絡して
詳しい話をしていなかったので
当然と言えば当然で、「あんたどうなってんのよ!」と
怒られながら、笑われて彼女らも聞きたくてウズウズしている様子。

しかし、まぁ。・・・想像していた通りの反応を返してくる悪友たち。(笑)

面白がられてる・・・・・・。

そんなことだろうと思いました。
彼女らも結婚10年を超え、抱えるものはたくさんある。
その中で、頑張って生きてるものの考えることは同世代だけによく似ている。
それに、まぁ、なんですか。私の友人です・・・・。

類は友を呼ぶ・・・・もぅ男前すぎる友人たち。

私の行動、決断を受け入れ、共感し、応援までしてくれて
これほど、「やっぱ、あんたらと友達でよかったよ。」
そう思った日はないかも。そのくらいうれしかった。

私の行動がわがまま、自己中心的、我慢が足りない
そう言われてきたけれど
「そんなことはない、十分尽くしてきたし
苦労してきたんだから。」
そういって肯定してくれてどれほどうれしかったか。

「あんたら愛してる!」

マジそう言っちゃいましたよ。
いいやつらだ、まったく。

話しは尽きることなく続き、腹が痛くなるまで笑った。
気がつけばあっというまの7時間半。
ランチを食べ、お茶を飲み、スイーツを楽しんで
家族のための夕食の買い物を済ませ、再会を約束し
帰路につきました。

最後に言われたひとこと。

「また、なんかあったら連絡してよ。楽しみにしてるからー。w」

いやいや、そんな驚かせるようなことはもうないと思うよ。
・・・・たぶん。

文章を書くということ。

元から文章を書くのが好きな方。
小説や、そういった類のものではなくて
どちらかと言えばエッセイに近いような
身近にあること、身近で起きたとりとめのないことを
自分の思いを織り交ぜて 、文字にすることで
自分なりの考えをまとめるのが好きだった。

「だった」と過去形なのは、ここ1年ほどまともに文章を書いてなかったから。
書くことが嫌いになったわけでも、暇がないわけでもなくて
書く内容が少なくなってしまったから。理由はそれにつきる。

昨年2007年から始まったtwitterというWebなサービスを利用してから
書くことが極端に少なくなってしまった。
twitterは「何してるの?」という簡単な問いかけに対して
登録している人たちがつぶやくというサービスだけれど
何してる?・・・というものだけじゃなくて
生きてれば人間いろいろ感じてしまうものだから
つい、思いついたこと 、感じていることをすぐに書いてしまって
自分の中で熟考するということがなくなってしまったのが原因だろうと思う。

よくネガティブな想いを抱いてる時に 、「吐きだしたらいい」と言われるけれど
吐きだすことによって救われることは確かにあるかもしれないけれど
すべてがすべて、吐きだせばいいという問題でもない気がする。

ネガティブな想いに限らず、人は何かを考え生きてるものだから
考えを止めることはない。その中で、あることに対して時間経過と共に
自分の中で考えを巡らせることによって
こうも考えられる、こういう風にも・・・といろんな角度から物事を判断し
理解して消化しようとするのではないか・・・・と思うのだけれど
先の、twitterのようなサービスに常駐してると
吐きだすことだけに重きを置いて
考えを巡らせる、自分の中で消化させる、というようなことが
できなくなってしまう気がする。

もちろん、いいこともたくさんあって、いろんな人がいるし
とてもみないい人たちだから励ましてもらって
それが力になることもあるのだけれど
私はやっぱり書くことが好きで、「書きたい」 という気持ちがある私は
吐きだすことの危険性も考えなきゃいけない。

比較するのはおこがましいけれど、文豪と言われた人たちの中には
精神的に追い詰められた人も少なくはない。
その中で生み出されたものが、人の心を打ち
素晴らしい作品を生み出したことを考えたら
もっと、感じたことをゆっくり自分の中で消化していく方が
性に合ってるような気がする。

twitterはとても楽しいサービスではあるけれど、
考える力が足りない私には、もすこし大人なおつきあいをしていこうかな。

今はそう思ってる。

自分のこと。

少しだけ自分のことを書こうかなと思ったはいいものの

自分のことなんて自分が一番わかってないわけで

てなことで、わかることだけ。

Webなお仕事してます。

泣き虫で、おまのじゃくで、わがまま(らしい。自覚なし。)

面倒くさがりの几帳面。

ミルクティーが大好き。

猫が好き。でも飼ってるのははむすたー。小動物好き。

本が好き。映画が好き。そんくらい。

思いついたことをつらつらと書きとめておきたいと思います。