死を選ぶということ。
私がどうこう、ではないです。悪しからず。
書こうかどうしようか、ずっと思い悩んでましたが書くことにしました。
知人が自殺未遂をしました。(以下Aさん)
Aさんとはネットのみつながりで会ったことはないけれど、数年前からお知り合いで
当時から心の病気を抱えつつ、一生懸命にひたむきに生きてる姿がとても好きで
Aさんの女子力の高さに、男前な心意気に、あこがれさえ抱いていましたが
同時にAさんが苦しんでいることも分かっていたので
彼女の幸せを願いましたが、内臓系の難病を発病されて・・・。
私は友達といえるほど親しくなかったし、会ったこともない人ですが
それでも、ブログやmixiを通してAさんの人となりを感じ、Aさんが好きで
ただただ病気がよくなってほしい、幸せになって欲しいと願っていました。
私が未遂を知ったのはAさんのブログでご自分のことを書かれていたから。
発作的にmixiのアカウントを削除した、とあったけれど気づきませんでした。
自殺未遂を起こしたと読んで「あぁ、その方法を選んでしまったか・・・」と思ったのと同時に
彼女が助かってよかったと思ったのですが
なんと声をかけてよいのやらわかりません。
ブログにコメントを書くくらいしかできないので、スルーしようと思えばできるし
私が書かなきゃいけないことはないのだけれど、何か励ましてあげたいと思っても言葉になりません。
「がんばって生きて」
そういえばいいのでしょうか?
がんばって生きて、ボロボロになってもなんとかしようともがいた人に
もっと頑張れっていうのでしょうか?
これ以上、どう頑張ればいいのかわからなくて自殺という方法を選んだ人に。
「生きていればいいことがある」
本当にそうでしょうか?
わたしはそうあって欲しいと切に願います。
私自身も毎日、親が悲しむから自殺はしないけど「早く死にたい」と考えていた日々がありました。
なぜそう思っていたか?
希望がないからです。
薄明かりでも光が見えたなら、そちらに向かっていけばいいのですが
悩んでるときは八方塞がりで、出口や光など見えないのです。
ずっと真っ暗やみの中にいるようで、何に対しても希望がなく、未来は暗く生きてることに意味が見いだせず
必要とされても、わたしでなくても・・・と思い
どうして生きているのかと思えてくるのです。
今、ここで道路に飛び出したら・・・
線路に飛び込んだら、他人様にご迷惑がかかるけど・・・
私は幸いにも、その状況から抜け出すことができたけれど
他人の人生のことに、何の保障もないのに「いいことあるよ」と軽々しく言えないのです。
「いいことがあって欲しい」としか言えないのです。
「家族を悲しませるようなことはしてはいけない」
確かに正論です。
私の叔父が自殺をしているので、残された家族の悲しみも知っています。
でも、「家族のためにも・・・」とも言えないのです。
家族は大事だけれど、自分のためにではなく
自分自身がとても辛く、未来が見いだせないのに、ただ悲しむ誰かのためだけに
そのためだけに生きることがどれほど空しく空虚なものか。
そういうことを考えていて、結局未だに何もコメントできないままです。
私は、彼女に生きてほしいと思うし、楽しみを見つけてほしいし、幸せになって欲しいと思います。
私にできることはただ願うことのみです。
無力だなと思います。
自殺という方法を選んだことを、「卑怯」という人もいるでしょう。
「死ぬ勇気があるなら、他にもっと頑張れるだろう」
そいういう意見も聞いたことがあります。
私はそうは思いません。
正当化する気はありませんが、苦しんで、死しか頭に浮かばなくなるような
そんな精神状態に追い込まれた人に対して「卑怯」だと言えるのでしょうか?
死を選ぶことが「勇気」なのでしょうか?
では、どうしたらいいのかわたしにもわかりません。
ただ、ほんの少しの明るい希望が見えたなら生きていけると思うのです。
だから、心が元気になって、体が元気になることを一番に願っています。
そうしたら、きっと希望が見えてくる気がするのです。
私にはこれしか言えませんが、あなたの幸せを願っています。